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HOMEBLOGminka 村山義明

  • TK

    2018.01.23

     

     

    小室哲哉が引退した。

     

    言わずもがな90年代のポップミュージックの立役者であり、我々30代〜40代の耳を作った人だ。

     

    キャッチーなメロディーラインと、10代20代の心に響くワードを多用した歌詞。

     

    その時代のカラオケで聴こえない日はなかったと思う。

     

    10代当時の僕は友人の影響で、バンドミュージックからエレクトロニックミュージック、いわゆるダンスミュージックに傾倒していった時期で、メンバーを集めないと音楽が出来なかったバンドという形態よりも、一人でもシンセサイザーと言われる電子音楽機で音楽が作れる打ち込みにのめり込んでいった。

     

    友人の影響で、ユーロビートという(その後パラパラと言われる音楽の原型)ディスコミュージックを教えてもらい、その後はテクノ、ハウスといったクラブミュージックに移行していく中に、小室哲哉の音楽もその通過点としてあった。

     

    まだTMN(TMネットワークからTMNとなり、再結成後にTMネットワークに戻る)というユニットでの音楽活動をしていた頃、いやちょうどTMNが解散した頃になると、オールインワンシンセサイザーなるものを初めてのアルバイト代で手に入れて、耳コピして打ち込みしていたものだった。

     

    それから、小室哲哉がプロデュース業に専念するようになり、TRFや安室奈美恵がヒットするようになる。

     

    小室哲哉プロデュースのCDには、大抵リミックス音源が2曲ほどとプラスカラオケが収録されていて、僕は友人とこのリミックス音源を聴いては、やれこの音はこの機材で作っているとか、このサンプリング音はこの曲からだとか、音の掘り下げをするのが楽しかったりした。

     

    小室哲哉は一般的にはプロデューサーとして名が通っているが、実はTMN時代なんかはキーボティストとしても一流で、超絶テクニックで凄まじい早弾きを披露したり、X JAPAN YOSHIKIさながらのキーボードを壊したりと、プレイヤーとしてのエンターテイナーでもあった。

     

     

     

     

    それが、僕の知っている限りだと詐欺罪で逮捕されてから以来、そのテクニックも影を潜め、すっかりプレイヤーとしての腕が落ちてしまったように見えていた。

     

    プロデュースした曲が売れないことよりも、そっちの方が気がかりだった。

     

    奥さんであるKEIKOの介護と、自身の病気の治療、いろいろなことが重なってかなり無理をしていたんだろう。

     

     

    最後に楽曲提供をした安室奈美恵は華々しく引退し、自身はこんな形での引退なんて不憫すぎる。

     

    恐らく、自分自身でもずっと才能の枯渇感を感じていたのだろうし、いつ引退するのかを考えていた時に来た文春砲。

     

    こんなことがきっかけになるとは誰も思わなかっただろう。

     

    小室哲哉がいなかったら、ハウスミュージックにも出会わなかっただろうし、DJもしてなかったかもしれない。

     

    僕の青春は小室哲哉の楽曲とともにあるし、あの頃の曲を聴くといろいろな思い出が蘇る。

     

    引退という決断をしたわけだけど、一旦は音楽業界から離れて休んで、また戻ってきてほしい。

     

    こんなラストで終わるなんて悲しすぎるから。

     

     

    いつまでも自分にとっての応援歌。

     

    このリミックスが一番好き。

     

    JUNGLEという聴き馴染みのないジャンルのトラックをポップスに取り入れる挑戦的な楽曲でミリオンセラーを叩き出すって、本当戦略家。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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